ファシリテーション スキル「ほめない」


昨日のVTS(ビジュアルシンキングストラテジーズ)の練習会の話の続きです。


私が学んでいる機関は米国カリフォルニア州にある『VTS』というNGOです。全米の美術館での教育だけでなく、ファシリテーターを小中高に大学、大学院、企業と派遣しています。私もいつか派遣されたい、そう夢見てメタ認知やクリティカルシンキングについての論文を読み、教育実習でファシリテーション スキルを強化するために精進しております。


2人の仲間によるvtsディスカッションが終了し全員が「いやすべらんなあ」?と
この教育の奥深さ、おもしろさの余韻に浸っている時、弁護士のエマが言った、



「ねえ、今のファシリテーション 、
 みんなをめっちゃほめてたよねえ
 
 でも、私たち、講習で習わなかった?
 『ほめるのはダメです』
 『完全に中立の立場で議論が回るように』
 って」




さすがだ、
こうあるべきだ。
学習する組織として
コレクティブラーニングとしては
「楽しかったわあ」や
「すべらんなあ」で終わってはいけなかった。





確かに。
それは私の課題でもあるし、謎でもある。



教師生活31年、一方的に講義する授業ではなく
アクティブラーニングにこだわってきた自負はある。

だがしかし、その回し方に問題がある。
ほめないと、生徒は参加者は自発的に発言しないのではないか?
したとしても、その発言は当たり障りのないことに終始するのではないか?



先日受講した子供国連の伊澤さんのセミナーで
忘れられないひとことが思い出される、
テーマは問いの立て方。
「このような問いの立て方をすると、生徒と先生の関係において忖度がうまれやすい」



ミシガン州立大学の附属図書館の教育司書であるアンのファシリテーション スタイルは、私のものと同じ:だれも彼もかたっぱしからほめる。そして楽しい学びの場を引っ張ってゆく。





これが自分のスタイルなんだと、私がはしゃがないでどう盛り上がるのだ、授業が、そう思ってきた。いや、近年は「言い聞かせてきた」と言った方がいい。

やはり、忖度は起きている。
同志社大学で授業をさせてもらった時、
思い知った。学生みんな、私に気を遣ってくれていた。力不足。みんな、申し訳ない。





本部には『VTSコーチ』や『VTS トレーナー』という肩書きをもつ人たちがいる。私がこれまで受講した2つの講座で、その神業を目の当たりにした。そのうちの1人は私のアメリカの母校の近くに住んでいる。彼女はh、ひとたびvtsディスカッションが始まるとにこりともしない。最初は、その反応のなさに「私の答えは受け入れられてないのだろか?」と思い不安になる、手をあげて発表したことを後悔する。 でも私の発言を、彼女がメタ言語で言い換えると自分が光が輝いている気がする、誇らしさでいっぱいになる。なんだろう、これ。



薄々気がついてはいる、
たぶん、それはファシリテーション スキルの差


3月から1ヶ月半の講習に申し込んだ。
VTSコーチになるための講習。
私のテーマは
「ほめない、はしゃがないファシリテーション 」技術を身につけたい。心からそう思う。










 

メタ認知発動

今朝も世界中の仲間とVTS ・ビジュアルシンキングストラテジーズのファシリテーション 練習をした。



リーダーはミシガン州立大学付属図書館に勤務する特別司書のアン。かつて私の志望校だったこの大学は言うまでもなくトップの大学のひとつであり、わが言語学業界では特に有名だ。


ミシガン州立大学では司書を「本や資料を探してくれる人」とは扱わず、「論文を書いたり、研究をするために大学の授業ではカバーしきれない部分を教えてくれる先生」として位置付けているそう。「大事にしてもらってるの、私たち司書は」
そういうアンは、クリクリ目がかわいい、きっと小さい頃から好奇心のかたまりだったろうと思う。そしてその知識と言語能力、特に自分の思考を言語化する能力がエグい。


私「うらやましい!
  アンは生きたエンサイコロペディアだわ
  その脳みそを移植できないかしら
  私の脳とつなげてダウンロード
  できないかな。本当にすごい知識!」
そういうと彼女は返す
 「みほ、知ってるよ
  第一言語(日本語)だったら、
  あなたは私と全く同じ」

ありえない。
もし知っていてもあなたみたいに瞬時にわかりやすく言語化できない。
知っていること と 説明できること は
全く違うことだと痛感する日々。



練習会のメンバーは、昨年夏開催のファシリテーター研修講座のクラスメート。10回講座には毎回提出の宿題があり、これが苦しかった。論文(アビゲイルハウゼン、ピアジェ、ヴィゴツスキー、ベルフックスなど)を読んで、哲学命題のような問いに小論文みたいに答える。許されるのは1パラグラフだけ。
「こんなでっかい問い、どうやって1パラグラフにまとめられるねん!」とMacにむかい続けた。

さて参加者は前回に続き、
アンと私にオーストラリアの弁護士、米国で特定学区の教育プログラムの責任者(すごいえらい人)にゲストはニュージーランドにある美術館の学芸員。

「今日の1枚目の絵画は、うちの美術館のコレクションから持ってきたわ」



これだ!
学芸員の強み、
「うちのコレクション」



著作権の関係でここには載せられないけれど
とてもユニークな作品だった。若い頃のボブマーリーのよう、豊かなドレッドヘアが似合う男性の写真と手書きのもじが書かれた書類、おそらくパスポートのページ?、その上にたくさんの貝殻とビーズが散りばめられている。


ディスカッションにのぼったトピックは
・人種差別
・アフリカからジャマイカに送られた奴隷と
 その歴史
・アジアとアフリカ両方にルーツをもつ人の
 苦悩
・私たちがもつステレオタイプ
・意識していない人種差別の芽って誰の心の中にもあるよね
・考え続けることのしんどさ



私が最後に言った意見は
「どうしても私はパスポートみたいな書類に書かれている文字ばかり見てしまう。文字を読む方が絵の要素を見て『何を意図して作られたのか』『訴えたいことはなんなのか?』と考えるよりずっと楽。


 ということは、巷に流れるニュースでも
もしかして私は文字で書いてあったらフェイクニュースでも信じてしまいがちなんだと思う。



ここにうつる青年の顔も、合成写真かもしれない、アバターかもしれない、そもそも、男性なのか? なぜそう決めつけられるの? でも心の中では決めつけている。浅はかだとわかっているのに。」


全員深く頷く、
そして、教育委員会の偉いひとアシュレーが
言う

「やっぱ、たまらない、
 おもしろいねえ、VTS メソッド。
 学べば学ぶほどどハマりするね」



30分弱のvtsディスカッションが終わったあとは、ファシリテーター役のメンバーにみんなからフィードバックをした。(この内容は次号)


みんな同じことを感じたようで、
「見た瞬間、ドレッドヘア、ジャマイカ、
 レゲエ、ボブマーリー」って自動的に
 頭に浮かんできた。それがすぐに定着して
 この作品の要素を多角的に見られなくなって  いる自分に気づいたわ」


でた、metarecognition(メタ認知)
そしてcritical thinking



最近見たテレビ番組を思い出す、

「いやあ

 vts、

 ほんま

 すべらんなあ」
 


『最強の思考ツール』を学ぶ

この本の作者、
伊澤さんのオンラインワークショップに
2度目の参加をした。


本のタイトル通りです、
「問う力」は最高の思考ツールだと
シャワーのような刺激を脳に浴びました。



毎回出し惜しみのない伊沢さんの講座は
今回も次から次に問いが挑んでくる、
1人で考えていると果たして正解なのかが
分からずにオタオタする私だが
ブレイクアウトルームのメンバーとの協議で
あやふやな「答えの領域」が明確化する。

今回も前回も参加者はわたしと同じく教育界の
人ばかりだった、ブレイクアウトルームになっても全員が「先生」なのでスムーズ。

仕切る人のテンポも、答える側のリズムも
ニューオリンズのジャズミュージシャン達の様
話し合っている全員がフリージャズを演奏して
いる様だった。そう、目で合図しながら
ソロを回す、あの感じ。話しすぎる人もいない
黙ったままの人もいない、いい塩梅に意見をいい、聞き手として反応する。「ああ、そうですね」「なるほど」アクティブリスニング発動。

かと思うと、ていねいな反論も湧き出てくる。
時々ぐち?もはいる、
「わたしが面白いと思っていることが
 生徒にはおもしろくない、っていうのが
 よく起きる」
先生あるあるか
全員笑う。心からリラックスして楽しい。


最後に
伊澤さんの珠玉の発言をいくつかおすそわけ。
気になった方、ぜひ受講をお勧めします。
知的刺激で10歳くらい若返ります
(個人差はあるかもしれません)

VTSファシリテーション

今朝は5時開始、
VTSルッククラブに参加。

米国のVTSという団体が、
ビジュアルシンキングストラテジーズを広めるための体験講座だ

今日の参加者は56名、
いつもの米国のみんなに加えて
ポーランド、オランダ、スロベニア、アルゼンチンなどからも参加者が。
https://vtshome.org/events/
(講座は全て英語で行われ、日本語訳はありません)



私はこの団体で2種類のファシリテーター養成講座を受けている、
ビギナーとアドバンスド と。
今日はクラスメートがたくさんいた。
グラフィックレコーディングを学ぶうちに知り合った
世界中の友人との楽しいやりとり然り、
「絵」は人と人とを繋ぐ、それも軽やかに。


今日はオーストラリアの美術館の学芸員チームがゲストで参加。
収蔵作品を持ってきてくれた
私の講座の受講生も「美術館に行きづらい今
自宅で作品がみられるだけでも嬉しい」と言っていた気持ちがよくわかる。
画面共有が始まった段階で、いつもの自室がギャラリーになる。
パッと花が咲いたよう、異空間にワープするような。


VTSの開発者のひとりはハーバード大の認知心理学者アビゲイルハウゼン。
彼女はvts講座への参加歴を{eyes on canvas}と呼ぶ。
キャンバス (アート)をみている時間が長ければ長いほど思考も豊かになる、
さらに、考えが柔軟になり、前提を疑うことへのためらいが薄れる



自分がファシリテーターとして活動する間に
西洋と東洋の違いに非常に敏感になる。
今日の1枚目の絵画、私は全く言語化できなかった。
ただそこにある絵画と言う感じ。
美術館で出会ったら一瞥して歩みを止めないタイプのもの。
好きか嫌いか、そこだけで判断していた以前の自分。

今は違う。
VTSメソッドではそのような状態を It is diffeicult enter.と表現する。
入り込めなかった。その絵をドライブにして思考を動かすことができなかった、
そう解釈する。


対して2枚目、これは別の意味で困った。
頭の中に次から次へとナラティブ(ストーリー)が湧いてきて止まらない。
発表したいが、止まらない考えを人前で発表できるように整理するのに一苦労。
集中しすぎて気が遠くなりそうだ、
時間がかかりすぎていないだろうか、
今日も一言も発せずに終わるのか、
いや、折角早起きして出席しているのだもの
自分に負けるような気がしてそれはいやだ。
絵に集中する自分とそれを俯瞰してみている自分、
これこそメタ認知だ。
アドレナリン、どば〜っ




結果として、今日は1回発表できた。
人前で自論を語るというのは勇気のいること。
それを褒めてくれ、完全に中立性を保ち、
みんなの同意も反論もしなやかに受け止めたオーストラリアのファシリテーター、「上手いなあ、、」

ファシリテーション は技術、
親しみやすさや面白さだけに特化している体の自分を恥いる。
修練あるのみだ。


I have joined VTS look club almost every week for about a year.
Every time, I attend it, I learn something new, and am overwhelmed by the efficient and sophisticated facilitation presented.

Will learn more. Will practice more.

無理して訳さなくても ええのに

大学1年生の娘のテストとレポート提出がほぼ終わった。

大学のキャンパスに行けたのは5回。

膨大な蔵書に惹かれ入学したのに、
志を同じくする同好の士に出会いたくて受験を頑張ったのに。
感染症が理由とはいえ、親としては可哀想で胸が痛い。

さて、そんな彼女のお疲れさん会の準備に
成城石井に2人で出かけた。
店内で流れていたのがこの曲、懐かしい感じさえもする,
『レリゴ〜〜』

娘が言う「なんで訳すんやろ、このままでよくない?」
私「ほんまにね。松たか子にも英語で歌わせてあげたかったわ。
英語の方が絶対にもっと朗々と歌い上げられるのに」



英語と日本語は親戚でもなんでもない。
日本の大学でもアメリカの大学でも何度も見た言語系統の図
「インドヨーロピアン言語」という
一大メジャー言語圏のトップスターが英語。
対して日本語はひとりぼっち。
Wikipediaにも「日本語は系統が未確認」と書かれている


なんでも日本は稀に見る翻訳大国らしい。
確かに私の好きな欧米の作家の作品もたくさん和訳されている。
便利だろうと思う、英語を使わない人にとっては。


しかし、なんでもかんでも、
必要ないと思われるものでも訳す癖は今の時代に必要なのだろうか。
カタカナではダメなのだろうか。レリゴーしかり。



そして、我が愛するVTSは「対話型鑑賞」とか言われる。
米国のVTSに尋ねてみたら
「それは全然違う」とのこと。
我が流派は
「30年以上の科学的データ集積と翻訳に裏打ちされた教育学」なのだ、と。

合気道のように、いろんな流派があるのはいいことだと思う。
しかしながら、私が日本で『VTS』とか『ビジュアルシンキングストラテジーズ』
(複数形、ストラテジーズです)
と口にするたびに「ああ、対話型鑑賞ね」と決めつけられるのが辛い。
違う流派も存在します。
どっちかというと世界では我が流派の方が知られております。
英検もあるけど、TOEFL か IELTSなのよ、と同じ感じです。



ここで翻訳文化について考えたい。
対話型鑑賞、こういう、一見すると納まりのよい名詞句には要注意なものがいくつかある。
対話型鑑賞がその手の西の横綱なら、東の横綱は「クリティカルシンキング=批判的思考」。

実際は、critical thinkingという概念は、
このように漢字5文字でサクッと表せるものではないと私は強く思う。
尊敬するbell hooks先生だって、論文でこの概念を説明するのに何ページも使ってらっしゃる。


独自の文化が日本の魅力だとは重々承知、
だけれども、複雑な概念をサクッと漢字の塊に単純化するのはやめた方がいいと私は思う。

訳せないものはそのままで、
サクッと説明できないものもあるのだという現実を受け止めたらどうだろうか。


言葉は便利だけれど、この世には言語では説明できないことが山ほどある。
その方が多いと個人的には思う。
敬愛する京極先生もそうおっしゃっていた。



おはようスコットランド


ただいま終了。

現在、朝の4時43分、
ヨーロッパの仲間から「おやすみ〜、みほ」
私からは「もう寝られへんで〜、
     もうすぐ朝5時やし〜
     おはよう やで〜」


ZOOMでの世界出没をはじめて以来
地球が丸いのだ、と実感する。
ギャラリービューに変えて友達を探す。



PC画面のたくさんのグリッド、
窓の外の景色、真っ暗だったり夜明けだったり
暖炉があったりタンクトップだったり
猫がキーボードに居座ったり、犬が飛びついてきたり。
子供を膝にのせている人もいる。
もぐもぐ食べたりコーヒー飲んだり。

なんとも胸がいっぱいになり、
いつもより優しい気持ちになる。




今日は160人近くが集まった。
主にヨーロッパ、世界中からの
ビジュアルプラクティショナーたち。
(グラレコやグラファシをやっている人たちは
 英語ではこう呼ばれます)
SCOTVIZ主催の勉強会。


今日のスピーカーは
ビジュアルプラクティスの総本山、
ドイツのBilabloという会社の創設者、
業界では誰もが知っていて、
そしてみんなが大好きなマーティン。



マーティンの語り口はあくまでソフト、
「特定のグラレコを画面共有するのはやめるね
 その人その人の経験で頑張って描いたものだもの、
 僕がどれかを選んだようになるのはいやだから」


さらに、実際に描いてみるコーナーでは
お手本が2種類用意されていた、


「経験のある人、プロはこっちを描いてね
 ビギナーはこっちを描くか模写して
 くれたらいいよ。人によってそれまでに
 費やしてきた時間も、バックグラウンドも
 違う、比べないで、自分のできることを 
 やればいいよ」

みんなが彼を好きな理由がわかる。
「教育者としてできてはるわ」と感銘。



質の良い教育をあたたかい仲間と受けると
生きててよかった
そう思う。

今日もみんなにありがとう。

私も良い教育を届けたい。
精読精査実践反省、、日々の地味なサイクルをガンバっぺ。

脳みそがんばれ

来月からのVTS講座始動のためもがいている。
脳が、脳が、、発火しそうです。

ずっとずっと逃げてきたことだ。

これまでのキャリア:英語の先生 のときは
随分と楽だった。あらかじめ、会社の仲間:セールスや受付のみんなが授業内容や私の経歴などを、丁寧にお客さんに伝えてくれる。

「先生、お願いします」と言われたら教室に入っていって授業をすれば良い。説明と言っても自己紹介程度で済んだ。

仕事内容、業務もわかりやすい。
英語を教えるのが「英語の先生」字面でもサウンドでも瞬時にわかる。

一方で「ビジュアルシンキングストラテジーズのファシリテーター」は謎だらけだ。それに流派の違う(私は米国本部派)先輩たちがすでにあちこちでやっている。

いや、もはや差別化なんて贅沢は望んでさえもいない。説明文がかければいいのだ。それが書けない。VTSが好きすぎて、そのうえ、私は全てを英語で学んで英語でアウトプットしているので、それがきれいな日本語にどうしてもならないのだ。

私のFacebookをみた芸大1年生の長女がいった
「効果音ばっかやな、どっか〜ん、ひえ〜
 きゃ〜、ぴえ〜。頭悪そうに見えるから
 やめた方がいいよ」

娘よ、やめたいのです、私自身も。
授業内容と教材研究にはつぎ込めるだけ注ぎ込んできた、米国本部ではかなり良い評価をしてもらっている。だけど、紹介できない。説明できない。内容を日本語で伝えられない。

こんな症状に効く薬、
どこかに売ってないでしょうか。

『あれたのしかったね』だけじゃなく

久々にPeatixから勉強会に参加した。

ビジュアルシンキングストラテジーの講座を定期開催するためにWeb上のプラットフォームを調査することしばらく。

自分なりに審査用書類を作り、とある会社に出してみた。


返事は強烈
「受講生が何をマンベルのか、どんなスキルが身につくのかがわからないから
 説明文をやり直してください」

そうだろう、そうだろう。自分でも何が言いたいのかわからない。悪文を読むのは体力を消耗する。ご迷惑をおかけしました。


自分開催とか学校とかではこれまでなんとか形がついた、いや、ついたと思い込もうとしていただけだ。

亡霊のように私の心にいつもつきまとっていた一言がある。
とあるビジネスマンが受講後アンケートに放った一文、「たのしかったけれど何を学んだかわからない」

さて、いったい何に役立つのか、、、
フワフワした表現ではなく言い切りたい。

そこで最近気になっていたのが
「問い」とか「問いの立て方」という言葉。
vtsはそれに役立つのではないだろうか、、、

vtsでは絵を観察し、自分で解釈しているうちに自然と疑問がわき起こる。
それをみんなの前で発表するには「言語化」する必要がある。
それって「問いを立てる」ことなんじゃない?


早速、これまで人体実験させてもらった夫や子達に質問してみるがスッキリする答えは帰ってこない。
「いやそんな気もするけど、言い切れないなあ」


悶々としながらアマゾンで「問い」関係の新しい本を貪り読んでいた時、この方の著書に行き着いた。
セミナー開催をぐぐり見つけたのが
昨日参加したこのセミナー


参加者4名が伊沢さんとのやりとりを繰り返す濃厚な90分。
刺さった言葉は
「あれたのしかったね
 じゃなく
 あれってこうだったんだね」



終了後の質疑応答で尋ねてみた
「伊沢さんも vts講座を開催されていました。
 私はvtsには問いを立てる力を養う力があると思います。そう思われますか?」

嬉しい返事が返ってきた、
「思いますよ、それはもちろん」

伊沢さんの言葉はくすみや濁りがなく力強い。
膨大な知識に裏打ちされたものだからだろう。


その後もvtsについて話をしてもらい、自分なりにわかったのは
結局は自分で落とし込むしかないのだ、ということ。


私のvtsなのだ、
美大卒でも西洋美術史専攻でもない
応用言語学を学び、30年以上語学教育だけをやってきた、それしかやってない私のvtsなのだ。今一度、腹をくくれ。

幼少のみぎりに観た昭和のアニメを思い出す、
「キャシャーンがやらねば 誰がやる」
諦めるのか? 逃げ道は確保してある、
もうアラフィフなんだ、織田信長なら死んでるぞ、
敦盛を吟じて終わらせるのか?
自問自答は続く。

#VTS
#visualingual
#ビジュアルシンキングストラテジーズ

弁護士1 教師2 司書1

今朝は遅めの6時から勉強会。
米国からミシガン州立大学図書館の特別司書と
小学校の教頭先生は『雪がすごいのよ』と。

タンクトップで明るい日差しを受けて現れたのはオーストラリアから弁護士のアリス。

この3名に私、計4名の同級生で1時間の勉強会をしました。出会いは10月にオンラインで受講したビジュアルシンキングストラテジーズ上級コース。

そのメンバーだった特別司書のアリソンが
「私のzoomアカウント、最強なのよ、大学がなんでもできるようにって最強のセッティングにしてくれてるの、だから幹事やるね」と言ってくれた。感謝しかない。

メンバーは世界中から:米国、オーストラリア、日本、トルコ、サウジアラビアなど。
米国だけでもタイムゾーンが4つもあるし、オーストラリアも3つある。

そんな状況なので、アリソンは全員を2グループに分けてくれた。今日集まったのは4名、
会うのは3ヶ月ぶり。弁護士のアリスは調停を始める前にビジュアルシンキングストラテジーズを使っていると。納得。離婚でも遺産分割でももめているから調停に持ち込まれるわけで、そこで絵を見ながら自分たちの固定観念に気付いたり、近しい人々でもどれだけものの見方(マインドセット)が違うのかを目の当たりにできる。

裁判所を想像してみる、背の高いロングの黒髪のアリスが、ビシッとしたスーツを着て始めるビジュアルシンキングストラテジーズは威厳があってさぞ素敵だろう。

さて私はどうやって広めていけるのか、このおもしろい教育を。出番は自分で作らないと。



今日は私のファシリテーター認定お祝いということで、先生役をやった。使ったのはルーブル美術館にあるこの石板。チラ見でもナイル川流域ね、とわかるこのアートワーク?に対し誰かが「エジプトの、、」と言ったらこっちのもの、「なぜこれがエジプトのだと思いますか? 具体的な根拠は?』と尋ねてみたかったのだ。

どう答えたか?
それはまたこの先に。

おはようヨーロッパ

今日は朝2時30分に起きた。
午前3:00からzoomで150人の勉強会。
主催者はロンドン、ヨーロッパの人たちが多いけれど世界あちこちから人々が集う。

私たちは「ビジュアルプラクティショナー」
グラレコ、グラフィックレコーディングやグラファシ、グラフィックファシリテーション や私のようにスケッチノートとかビジュアルノートをやっている人もいる。

これまでにドイツの会社のトレーニングに数度出ているので、顔見知りも多い。始まるとプライベートメッセージが届く、”Hi, Miho.” 私も返す”Good to See, you.”

私の住む地域は、緊急事態宣言下。もう数ヶ月電車に乗っていない。自転車と徒歩でステイ近所を厳守している毎日だ。我慢しているのはカフェに行く事と、動き始めたばかりのプロジェクト。

地球上のみんなが閉塞感を感じているんだ、
それでもこうやって、超一流のプレゼンターの話を生で聴けるのは人生のご馳走。

今日の先生はニューヨークから。NYUなんかで組織や人材育成を教える有名人。さすがに話と構成がうまい、2時間まるでだれない、飽きさせない。でも、絵を描きながら喋っているわけではない。



いちばん心に残った言葉は
「マーティンルーサキングJr.はパワポを使っていなかったけど、あのスピーチはとてもビジュアル的だよね。彼の言葉の強弱、身振り手振り、ビデオをみたら僕の言葉の意味に納得するはずだよ」 たしかに。

中盤で「なんだろこの単語、しらん」、、、と悩んだ私。2.3度脳で反芻している時に耳に入ったのは『JAPAN』、いまジャパン言いました先生?あっ
わかった! I ki ga i ”いきがい” だ!
TEDでも有名なこの先生が西洋の方々に
日本の『いきがい』というコンセプトについて「いいだろう、この考え」と説明しながらニコニコしている。ええ話や。


共感したのはこの話、
「あの時は僕は無職だったんだ。そんなとき、ある会社からのオファーがあって飛びついたんだ。給料もとてもよかったし、IT企業のCEOって肩書きも人生初だったからね。畑違いだったから、ついてゆくために役に立つために学んだ、必死にね。でも、何もうまく行かなかった。だから90日目に声をかけてくれた人に言ったんだ、『これからも君とは友達として付き合いはしていきたい。でも、僕はもう辞める」って。


質疑応答でも力いっぱい答えてくれた先生、
ええもん 見せて もらいました。

私もくさらず愚直に学習を続けよう。
さっき届いたニューヨークタイムズ電子版には
コロナに苦しむアフガンの難民キャンプの様子が載っていた。視野を地球規模に保とう、この時代を生きるために。ちっさい自室で自分に言い聞かせた。


My visual note on today’s Visual Jam which was engaging, cultivating and refreshing. Thank you for this opportunity.

#visualjam
#visualingual
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#visualization
#グラレコ
#グラフィックレコーディング
#ビジュアリンガル