『あれたのしかったね』だけじゃなく

久々にPeatixから勉強会に参加した。

ビジュアルシンキングストラテジーの講座を定期開催するためにWeb上のプラットフォームを調査することしばらく。

自分なりに審査用書類を作り、とある会社に出してみた。


返事は強烈
「受講生が何をマンベルのか、どんなスキルが身につくのかがわからないから
 説明文をやり直してください」

そうだろう、そうだろう。自分でも何が言いたいのかわからない。悪文を読むのは体力を消耗する。ご迷惑をおかけしました。


自分開催とか学校とかではこれまでなんとか形がついた、いや、ついたと思い込もうとしていただけだ。

亡霊のように私の心にいつもつきまとっていた一言がある。
とあるビジネスマンが受講後アンケートに放った一文、「たのしかったけれど何を学んだかわからない」

さて、いったい何に役立つのか、、、
フワフワした表現ではなく言い切りたい。

そこで最近気になっていたのが
「問い」とか「問いの立て方」という言葉。
vtsはそれに役立つのではないだろうか、、、

vtsでは絵を観察し、自分で解釈しているうちに自然と疑問がわき起こる。
それをみんなの前で発表するには「言語化」する必要がある。
それって「問いを立てる」ことなんじゃない?


早速、これまで人体実験させてもらった夫や子達に質問してみるがスッキリする答えは帰ってこない。
「いやそんな気もするけど、言い切れないなあ」


悶々としながらアマゾンで「問い」関係の新しい本を貪り読んでいた時、この方の著書に行き着いた。
セミナー開催をぐぐり見つけたのが
昨日参加したこのセミナー


参加者4名が伊沢さんとのやりとりを繰り返す濃厚な90分。
刺さった言葉は
「あれたのしかったね
 じゃなく
 あれってこうだったんだね」



終了後の質疑応答で尋ねてみた
「伊沢さんも vts講座を開催されていました。
 私はvtsには問いを立てる力を養う力があると思います。そう思われますか?」

嬉しい返事が返ってきた、
「思いますよ、それはもちろん」

伊沢さんの言葉はくすみや濁りがなく力強い。
膨大な知識に裏打ちされたものだからだろう。


その後もvtsについて話をしてもらい、自分なりにわかったのは
結局は自分で落とし込むしかないのだ、ということ。


私のvtsなのだ、
美大卒でも西洋美術史専攻でもない
応用言語学を学び、30年以上語学教育だけをやってきた、それしかやってない私のvtsなのだ。今一度、腹をくくれ。

幼少のみぎりに観た昭和のアニメを思い出す、
「キャシャーンがやらねば 誰がやる」
諦めるのか? 逃げ道は確保してある、
もうアラフィフなんだ、織田信長なら死んでるぞ、
敦盛を吟じて終わらせるのか?
自問自答は続く。

#VTS
#visualingual
#ビジュアルシンキングストラテジーズ

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おかみほ
岡みほ ・米国VTS認定ファシリテーター/ スケッチノーター 「ビジュアリンガル」 代表 ・International Visual Literacy Association 会員 ・International Forum of Visual Practitioners 会員 ・ペットはカブトガニのジョン
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