4年間かかって『論破』する

終わった。
ルートの章のやり込みが終わった。
最後の問題の答えは−√3
感無量。


小学6年の時、自ら校長室に出向いて「僕ここには来ません宣言」をした息子もはや中学2年の終盤です。

彼の小学校時代は、全体に合わせるための過剰反応と、周りと同じように感じられない、もしくは割り切れない自分がどこかおかしいのではないかという不安に苦しみ抜いた長い期間でした。
もちろん当時は彼も自分の気持ちをこのように言語化できた訳ではありませんから、親子でお互いの気持ちを理解しよう、何に困っているのかを言語化させようと熱くなればなるほど親子げんかを繰り返しました。まるで嵐、それも真冬の日本海側、霙まじりのしぶきがテトラポットに叩きつけるような嵐の数年間は今思い出してもどっと疲れます。

校長室への単独訪問と宣言で両親が折れ、最終的に完全不登校を受け入れたのち、学校には日々の電話での登校意思の確認や宿題提出連絡をしないよう頼み説得し、最終的には管理職である校長教頭両先生を論破しました。

親としては「学校にきて勉強しないと将来がない」と不安を煽られ、学校側は責任問題になるのをおそれている、そこで私の意見のポイントは関与の完全拒否、我が家では「自家発電」と呼んでいる考えです。
小学校への具体的な要望はこれでした。
「学力は家でつけますので配布のプリント類も一切届けないでください。将来、学校がきちんと面倒を見なかったせいで進学もできないじゃないか、なんて絶対に言いませんから」


小学3−4年のときに「計算障害の可能性」を指摘された彼はいま、学校へ行く同級生よりほぼ1年早く様々な問題集の√の章を終えました。写真にある教材をかたっぱしからやる、という蹂躙作戦のような勉強方法で、最高難易度の問題集などはやっていません。

しかしながら、思春期になり自分の意思を強く主張するようになった息子と、母親が毎日顔を付き合わせて勉強会をすることは、私にとっても彼にとっても限界になってきているのも事実です。
それでも、彼に進学の道をつけないことには「論破」にはならないと思うのです。あと1年勉強会を続けて息子の高校への道を開いたら、その時初めて私の発言は意味を持ち、私は校長先生を論破したことになるのでしょう。

縄を編む

14歳の息子には「みうらじゅん」先生のいうところの「マイブーム」がおそいかかってくるそうです。


不登校なので(分担されている家事)以外は丸丸一日の時間を好きなように使える毎日を送る彼。暇そうなので、リビングの本棚にワナを仕掛けるのも私の仕事です。

今日の仕掛けはこれ

きっと明日には「みうらじゅんが言っとったわ」とか言い出すはずです。
アホほど釣れます、釣り堀です、入れ食いです


そんな彼の「マイブーム」は、藁編み。


なんでも
身長の何倍かの長さの藁縄で、その人の足の大きさにぴったりのワラジが編めるとか。買ってきた縄を水につけてトントンとなめしてから編んで床に伸ばし、その横に寝転がって「もう少しだな」とつぶやいています。


母は「しめ縄を作ってほしい、良い出来なら買い取ります」と息子に進言。「よし、わかった」と彼。うまくいったら、祖父母の元にも行商に出るそうで、さすが「みうら先生」、もうすでに「ない仕事」が作られております。


The title of the book is “Creating a job which did not exist”

My son is so into old-fashioned lifestyle. These days he is weaving the rope hoping to make Waraji (Japanese Old style sandals which were worn by Samurai). I told him to make one for me, and if they are good enough, I’ll buy them. Accepting my offer, he mumbled “maybe I should make some more for my grandma and grandpa.”

How smart.
Obviously the book worked.

勉強は楽しくないものか

中学2年の息子は小学校6年から
完全に不登校になった。

6年になったある日、
「オレ、いってくる、」
どこへ?
「校長先生のところ、
 『もうここには来ません、
  勉強できないから』って
  言ってくる」

結局夫が駆け出す息子の後ろから
保護者としてついて行きました。

小学校6年になったばかりのこが
それだけの決心なら
それはもう受けてやらないと、
そう思いました。



それ以前から、必死に歯を食いしばって
学校に行っていたのは、親を苦しめないためだと
身長が私を越したあたりで聞かされました。




まずは勤務先と話し合い、
仕事を週1回に減らしました。
とにかく中学の数学を3年分、
全て教えられるようにやり込む時間が必要だったのです。

近所のカフェに毎日現れるアラフィフ、
受験生に混じり、くる日も来る日も
三角形の証明や二次関数を解く。

それでも最初のころは
やり込みが全然足りておらず
息子への授業で
「私には解けるのに、
なぜお前には解けないのだ」
という教師としては最低の言葉をはいて。



自分がわかっているのと
それを生徒にわかりやすく伝えられるのは
全くもって違う。レベルが違います、
認知とメタ認知ほど違います。

私立文系の私の数学は数1で終了しています。
ちょっとでも上のレベルの視野で指導できるには、、
そう考え、ひとつの項目につき
問題集や参考書の4−5冊を前もって解いておきました。(私の趣味は教材研究です)
すると、つまづきそうなところが予測でき
息子向けの説明の仕方、個別指導案ができるようになりました。
たとえば、
昆虫が好きなので素数では素数蝉の話をしよう、
濃度算では息子が描いている日本画の岩絵具の話だ、
粉状の鉱物を膠で溶かす際、
数々ある粒の大きさからなぜそれを選ぶのか、
キャンバス上で沈殿するからだよね、の話から導入しようなど。

なにより、
メタ認知できていない自分の浅はかさを
「普通、このくらいできるだろ」
などと暴言で隠す必要がなくなりました。

一方、英語の授業は30年教えているし
それまでに日本でも米国でも、徹底的に
言語習得や応用言語学の論文をしこたま読み
レポートを書いているので教えるための『厚み』が全く違います。


そんなこんなで息子が自宅で学び初めて
3年が終わろうとしている今もほぼ毎日、
2人で数学と英語を勉強しています。


「算数がわからない」と頭を抱えていた息子、
今は文科省学習指導要領よりも
半年以上先取りになり、ルートの計算を
1人で楽しそうにこなしています。


そんな彼が昨日の勉強会中に言ったのがこれ

そう、
楽しいもんなんです、
学習とは。

レンタル畑3年目

近所に小さな畑を借りている。

中学2年の息子は、全く学習塾に行っていない
何箇所か行ってみたけれど、合わなかった。
彼にはLDがある、小さい文字が書けない。

それ以外は全く何も困るところはない、
強いていうなら、同調圧力が無理なだけだ。

そんなことが理由で「学び」に集中できる時期を
ぼんやり過ごすのはもったいない。
ある年齢になれば「学生」というステイタスは選択肢から消え
生活してゆくためにお金を稼がないといけない。

学校の机が卓球台半分くらい大きいなら
まだ行けたかもしれないが。
いや、合わないだろう、合わないと本人が言っている。

毎日親子で英語と数学を勉強して年が終わろうとしている。
「計算障害かも」と言われていた彼はいま、
ルートの計算をバリバリ1人で解いている。

畑は「生物」の代わりでもあり、人格形成の場でもある。
世話をしないとうまく育たない、精魂込めても全然育たなかったものもある。
理由がわからない、不条理だ、それをいっぱい経験してきた彼は
来年、自宅玄関先に「バケツ稲作」をするそうだ。
なんでもとことんやってくれ。
お世話になっている米農家にメールを送る
「できれば種もみを売ってください」

写真のものは今日収穫したばかりの「黄金カブ」
お鍋にしたら食した夫が言った
「こんなにうまいカブ、食べたことないわ」


新鮮な野菜から出る旨味と畑作業は中毒になリます。