『VTSコーチ』 ご存知ですか?

I am going to be living in Pacifit Timezone for a month.

これまで米国vts認定ファシリテーターとして活動してきた私ですが、
次は【vts認定コーチ】となるべく動き出しました。

今回の1ヶ月にわたる講習の目標は
①1on1のコーチングをvtsメソッドを使ってできるようになること。
②vtsファシリテーターにvtsメソッドを教えられるようになること。



コロナ禍で色々とできないことは多いけれども、
家にいながらすっごい教育が受けられるのは至福の極みです。

ただ、そのプレッシャーは相当なもの、
これまで以上の強者が集う講習、
ほとんどが英語のネイティブスピーカー、
加えて高学歴で芸術に造詣が深い、
そんな彼ら彼女らが使うボキャブラリーの中には
わからないものもあります。
vtsコーチになるための認定審査に必要な力は
私が彼らを相手に「vtsファシリテーション 」を教え
私の「指導」でファシリテーターがどう上手くなったかを
指導前/指導後の動画を撮影し本部に送らなければなりません。



これまでに受講した2回の講座(初級・上級講座)と同様に
「宿題晒し者」になる恐怖に慄く小心者がここにいます。
vtsのどの講習でもたくさんの論文を読みます(もちろん英語で)
これまでに読んだ中では
ヴィゴツキーの発達理論を読むのは快楽で、
ピアジェのビデオを見るのも、
ベルフッくスやアビゲイルハウゼンの論文を
読むのも幸せの極みだけれど、
それを踏まえ、vtsに関する問いに答えるエッセイは、
たったの1パラグラフしか許されません。

言葉と思考の精査に悶え苦しむのです。
それをグーグルクラスルームで提出、
瞬時にアップロードされ『晒し者』に。
クラスメートは美術館の学芸員や学校教諭、医師や弁護士、
その強者たちでさえ慄く宿題に加えて、
彼ら彼女らを生徒役に教育実習が3回あります。

さて、宿題の提出期限はクラス開始の2時間前、
1時間前あたりに世界中からアップロードが開始。
受講生みんなが出方を伺ってギリギリの攻防をしています。

1年間続く勉強仲間には、サウジアラビアに住む若い女性がいます。
女性の権利勝ち取るためにこの教育を学んで普及させるのが目的だと。
彼女も国内唯一人、私も同じ。
そんな世界中の仲間と苦労話ができる交流会が
今回も2度ほどあ利、顔見知りのファシリテーター仲間と
世界ではvtsメソッドをどう使っているのかの
情報交換をするのが楽しみです。

3月中は西海岸時間で生活する私、
その時差は17時間、
理解ある家族の協力を受けて楽しみます。

名刺を作った

印刷所から名刺が届いた、
ipadにプロクリエイト でロゴを描き、
Pagesでダミーを作成し、持って行った。

ちょうど去年の今頃はまだ、英語の先生を
やっていたなあ、なんとか活路を見出そうと
あちこち営業に出向いては
「もう英語なんてダメですよ」とか言われて
営業先で泣いていた。迷惑な奴だ。


さあ、この名刺がどんな出会いを生んでくれるのか、どんなみなさんにお会いできるのか、
期待が高まります。

名刺って、やっぱり特別ですよね。

ちなみに1番最初の名刺交換は
ストラテジストの夫とでした。

MoMAでアートの勉強

あいかわらず、ZOOMで海外に出かけまくっています。今日はMoMA:ニューヨーク近代美術館が年に3度ほど開催するArt21という教育プログラム。

さすがブランド! 200人以上が参加したウエビナーでした。まずはお約束、みんながどこから参加しているのかをチャットでHello.

今日は東京からもおひとり参加、日本勢は2人でした。上のイメージは私のスケッチノートです。3人のアーティストがそえぞれのナラティゔをどう制作に生かしているのか、という話。

左のおじさまは哲学畑の方、右上のお姉さまは東インド会社や植民地の話をされてました。右下の方は、コロンビアで治安がとても悪い頃の話、連れ去られておそらくは殺されてしまった人たちの靴からの話。

時折、学芸員たちが投げかける質問に
世界中の参加者がチャットで答える形式でして
それぞれの捉え方の違いにほくほく。どの意見もいいねえ、と思いました。うまいなあ、この言い方、的確だなあ、と思うものやwonderfulと一言で終わるもの。私は後者なので、願わくば、私もダイヤモンドみたいにキラッキラの語彙や強くて硬い表現力がほしい!と痛感しました。

大好きなジェームスボールドウィンやマヤアンジェロウの話も出てきてああ嬉しい。


アメリカの大学で文学の授業を選択したときに
初めて出会ったナラティヴというジャンル、
私は大好きです。「ひとに歴史あり」という感じがするんです。

今日の話は個人レベルからさらに大きなスケールの話でした。発信力のあるアーティストだからそういった昇華ができるのだろうと、改めてアートのもつパワーにどっぷりつかった幸せな90分はあっという間でした。


私のVTSは美術的な知識はほとんど教えないスタイルで、やっぱり学校の先生たち向けに作られているのだなと認識。それならやっぱりファシリテーション 技術を磨くしかありません、やぱそうだな。

左脳を培養

一昨日からPCDAサイクルを回している。
「いまさら?」
いまさらです。


完全なる右脳人間の当方、
ロジックツリーを見ると具合が悪くなります。
同じツリー形状でも
マインドマップなら平気、
どこまでも枝が伸びます。


そんな私でも、必要に迫られました。
新規事業を立ち上げたものの、進まない。
本能と思いつきだけではダメだと完敗宣言。

毎晩毎朝、リフレクションの手法ORIDを使い
手がだるくなっても青ペンで書き出します。
なんなら脳に効くらしいノートも購入し
左脳に直接働きかけようと、、。


書いていくうちに、その効果に気づき、
ちょっと楽になりました、生きるのが。
これがおととし売れたあの本か、メモの魔術か。いや威力だったか?


私の日々のふりかえりは、日本語版のORIDの質問表をPC画面に映し、4段回の振り返り。気になったところはマインドマップ で深掘り。
するとキーワードが思いつくのでそれを検索。
昨日は学研のWebサイトに掲載された茂木健一郎さんのエッセイにたどり着きました。


グッときた言葉がこれ


「いい人」を演じなくても


 あなたの価値は


 変わらないのです。」




いいひとを演じている時、脳はダメージを受けているのですって。大事な臓器、商売道具、
それは困る。

少しでもバグを減らし、大切な臓器を守り長持ちさせるためにも、今日も回しますPCDA。
やっぱり流行り物とは番人が効果を認めたから流行るのだ。がんばれ、私の左脳!

なぜ「どうでしたか?」が愚問なのか


子供国連の伊澤さんのワークショップを受けて以来「問い」と「忖度」の関係性について考え続けている。


伊澤さん曰く
「授業やワークショップの後に
 『どうでしたか?』と聞くのは絶対だめ」と

「そんな粗い問いは、生徒に丸投げしてしまっている。そこでは忖度が働きやすく、生徒の答えは決まって
 『とってもよかったです』
 『目からウロコでした」とか
 本人は何がよかったのか認識できてない。」


お恥ずかしい話、教師生活31年私は自分の授業の後に、毎度きっちりこの問い
「どうでした?」を聞いて悦に入っていた。

さぶっ


伊澤さんの話だったか、それとも私が読んだ論文の情報を足したのか、ここからの話は出どころを忘れてしまったが説明したい。
忖度が起こるのは私たちが群れで暮らす動物だから、DNAに刻み込まれているというもの。

いわば、生き残るためのツールらしい。


そらそうだ。私たちは1人では生きていられない。仕事や学校には
同僚、同級生、上司に先生など多数の人間と接しなければならない。
不登校でも仕事をしていなくても、買い物に行くとレジに並ぶ。
セルフレジというみょうちくりんな英語のマシンを選んでも動作がうまくいってないと、係の人がとんでくる。


そうなるとできるだけ揉め事は起こしたくないはずだ。怒ることはエネルギーを使う。自分の本心を表現するには、深い内省と人に嫌われる、少なくともめんどくさい奴だ、と思われるリスクが生じるし。誰だっていい人だと思われたい。さらに、他のみんなが肯定的な空気を作り上げているところに、水を差すと、誰もがささっと帰れない。もっと嫌われる。

とはいえ、自分の尊厳を守ったり、無理な要求を突きつけられたときには、野生の動物だろうが人間だろうが闘う必要はあるわけで。

きっとそれはファイナルファンタジーで
クリティカル技が出るときの、赤いゲージの溜まり方のようなもんなんだろうと思う。私もいつか、クリティカル攻撃をヒットさせてみたいものだ。って誰に?


ちょっと最後は話がそれてしまいましたが、
どうしてワークショップ後の「どうでしたか?」では誰も本心を語らないのか、に対する
考察でした。

メタ認知スキルで傷つかない−2

さて、リモートワークショップを受けた際に先生が言った一言に反応した話の続きです。


「岡さんが英語のコミュニケーションの方が日本語より楽だというのは、母国語より制限がかかっているから楽なんじゃないですか?」



充実した講義が終了。
その後も、このことを頭の片隅に置いて考えていました。息子が小さい頃、口の中でずっとコーラ味のまん丸い飴をコロコロと転がしていたように。


無理をして書き出したりして結論や即答を急ぎませんでした。不思議です。今までの自分だったら、それは不安に直結するから嫌で嫌で、
力技で短絡的に(今思えば)ロジック破綻な答えをだし無理やりその分析が正しい、それしかないのだ、と思い込んで具合悪くなっていました。(書きながら相当恥ずかしいです)』




ではvtsがどう役に立ったのか?


これは、ts学習者としてではなく、
vtsファシリテーターとして獲得した力だと思います。ファシリテーターは3つの質問しかできません。私のコーチは常々言ってます、
「私たちvtsファシリテーターの武器は
 パラフレージングだけです」


受講者が絵画を観察し、言語化した発表を
ファシリテーターは単におうむ返しするだけではありません。メタ認知の力を使い、パラフレージング(言い換え)をして受講者グループに投げ返します。


さらに、受講者みなさんの意見を組み合わせたり対比させたりして、グループ全体でメタ認知が発動するように、もっていくのです。


私がこれまでのように、「もう、あの先生ひどい人、2度と会わないわ、サイアク」なんて思わず、「ためになったなあ、やっぱり人に教えてもらうって本を読むよりわかりやすいし楽しいなあ」と思えたのは、vtsファシリテーターとして80回以上の経験をつませてもらったからだと考えます。

来月から6週間にわたりvtsコーチになるための講座をオンラインで受けます。
時差がかなりきついけれど、好奇心がそれを上回る。

全編英語の上に、この教育に魅せられた志を同じくする旧知の仲間、
飛行機に乗らなくても本場のものが学べるとは!



vtsメソッドで訓練すると、
精神的幽体離脱が起こって
不必要に傷つかなくなる
それを体験した話でした。

『最強の思考ツール』を学ぶ

この本の作者、
伊澤さんのオンラインワークショップに
2度目の参加をした。


本のタイトル通りです、
「問う力」は最高の思考ツールだと
シャワーのような刺激を脳に浴びました。



毎回出し惜しみのない伊沢さんの講座は
今回も次から次に問いが挑んでくる、
1人で考えていると果たして正解なのかが
分からずにオタオタする私だが
ブレイクアウトルームのメンバーとの協議で
あやふやな「答えの領域」が明確化する。

今回も前回も参加者はわたしと同じく教育界の
人ばかりだった、ブレイクアウトルームになっても全員が「先生」なのでスムーズ。

仕切る人のテンポも、答える側のリズムも
ニューオリンズのジャズミュージシャン達の様
話し合っている全員がフリージャズを演奏して
いる様だった。そう、目で合図しながら
ソロを回す、あの感じ。話しすぎる人もいない
黙ったままの人もいない、いい塩梅に意見をいい、聞き手として反応する。「ああ、そうですね」「なるほど」アクティブリスニング発動。

かと思うと、ていねいな反論も湧き出てくる。
時々ぐち?もはいる、
「わたしが面白いと思っていることが
 生徒にはおもしろくない、っていうのが
 よく起きる」
先生あるあるか
全員笑う。心からリラックスして楽しい。


最後に
伊澤さんの珠玉の発言をいくつかおすそわけ。
気になった方、ぜひ受講をお勧めします。
知的刺激で10歳くらい若返ります
(個人差はあるかもしれません)

VTSファシリテーション

今朝は5時開始、
VTSルッククラブに参加。

米国のVTSという団体が、
ビジュアルシンキングストラテジーズを広めるための体験講座だ

今日の参加者は56名、
いつもの米国のみんなに加えて
ポーランド、オランダ、スロベニア、アルゼンチンなどからも参加者が。
https://vtshome.org/events/
(講座は全て英語で行われ、日本語訳はありません)



私はこの団体で2種類のファシリテーター養成講座を受けている、
ビギナーとアドバンスド と。
今日はクラスメートがたくさんいた。
グラフィックレコーディングを学ぶうちに知り合った
世界中の友人との楽しいやりとり然り、
「絵」は人と人とを繋ぐ、それも軽やかに。


今日はオーストラリアの美術館の学芸員チームがゲストで参加。
収蔵作品を持ってきてくれた
私の講座の受講生も「美術館に行きづらい今
自宅で作品がみられるだけでも嬉しい」と言っていた気持ちがよくわかる。
画面共有が始まった段階で、いつもの自室がギャラリーになる。
パッと花が咲いたよう、異空間にワープするような。


VTSの開発者のひとりはハーバード大の認知心理学者アビゲイルハウゼン。
彼女はvts講座への参加歴を{eyes on canvas}と呼ぶ。
キャンバス (アート)をみている時間が長ければ長いほど思考も豊かになる、
さらに、考えが柔軟になり、前提を疑うことへのためらいが薄れる



自分がファシリテーターとして活動する間に
西洋と東洋の違いに非常に敏感になる。
今日の1枚目の絵画、私は全く言語化できなかった。
ただそこにある絵画と言う感じ。
美術館で出会ったら一瞥して歩みを止めないタイプのもの。
好きか嫌いか、そこだけで判断していた以前の自分。

今は違う。
VTSメソッドではそのような状態を It is diffeicult enter.と表現する。
入り込めなかった。その絵をドライブにして思考を動かすことができなかった、
そう解釈する。


対して2枚目、これは別の意味で困った。
頭の中に次から次へとナラティブ(ストーリー)が湧いてきて止まらない。
発表したいが、止まらない考えを人前で発表できるように整理するのに一苦労。
集中しすぎて気が遠くなりそうだ、
時間がかかりすぎていないだろうか、
今日も一言も発せずに終わるのか、
いや、折角早起きして出席しているのだもの
自分に負けるような気がしてそれはいやだ。
絵に集中する自分とそれを俯瞰してみている自分、
これこそメタ認知だ。
アドレナリン、どば〜っ




結果として、今日は1回発表できた。
人前で自論を語るというのは勇気のいること。
それを褒めてくれ、完全に中立性を保ち、
みんなの同意も反論もしなやかに受け止めたオーストラリアのファシリテーター、「上手いなあ、、」

ファシリテーション は技術、
親しみやすさや面白さだけに特化している体の自分を恥いる。
修練あるのみだ。


I have joined VTS look club almost every week for about a year.
Every time, I attend it, I learn something new, and am overwhelmed by the efficient and sophisticated facilitation presented.

Will learn more. Will practice more.

無理して訳さなくても ええのに

大学1年生の娘のテストとレポート提出がほぼ終わった。

大学のキャンパスに行けたのは5回。

膨大な蔵書に惹かれ入学したのに、
志を同じくする同好の士に出会いたくて受験を頑張ったのに。
感染症が理由とはいえ、親としては可哀想で胸が痛い。

さて、そんな彼女のお疲れさん会の準備に
成城石井に2人で出かけた。
店内で流れていたのがこの曲、懐かしい感じさえもする,
『レリゴ〜〜』

娘が言う「なんで訳すんやろ、このままでよくない?」
私「ほんまにね。松たか子にも英語で歌わせてあげたかったわ。
英語の方が絶対にもっと朗々と歌い上げられるのに」



英語と日本語は親戚でもなんでもない。
日本の大学でもアメリカの大学でも何度も見た言語系統の図
「インドヨーロピアン言語」という
一大メジャー言語圏のトップスターが英語。
対して日本語はひとりぼっち。
Wikipediaにも「日本語は系統が未確認」と書かれている


なんでも日本は稀に見る翻訳大国らしい。
確かに私の好きな欧米の作家の作品もたくさん和訳されている。
便利だろうと思う、英語を使わない人にとっては。


しかし、なんでもかんでも、
必要ないと思われるものでも訳す癖は今の時代に必要なのだろうか。
カタカナではダメなのだろうか。レリゴーしかり。



そして、我が愛するVTSは「対話型鑑賞」とか言われる。
米国のVTSに尋ねてみたら
「それは全然違う」とのこと。
我が流派は
「30年以上の科学的データ集積と翻訳に裏打ちされた教育学」なのだ、と。

合気道のように、いろんな流派があるのはいいことだと思う。
しかしながら、私が日本で『VTS』とか『ビジュアルシンキングストラテジーズ』
(複数形、ストラテジーズです)
と口にするたびに「ああ、対話型鑑賞ね」と決めつけられるのが辛い。
違う流派も存在します。
どっちかというと世界では我が流派の方が知られております。
英検もあるけど、TOEFL か IELTSなのよ、と同じ感じです。



ここで翻訳文化について考えたい。
対話型鑑賞、こういう、一見すると納まりのよい名詞句には要注意なものがいくつかある。
対話型鑑賞がその手の西の横綱なら、東の横綱は「クリティカルシンキング=批判的思考」。

実際は、critical thinkingという概念は、
このように漢字5文字でサクッと表せるものではないと私は強く思う。
尊敬するbell hooks先生だって、論文でこの概念を説明するのに何ページも使ってらっしゃる。


独自の文化が日本の魅力だとは重々承知、
だけれども、複雑な概念をサクッと漢字の塊に単純化するのはやめた方がいいと私は思う。

訳せないものはそのままで、
サクッと説明できないものもあるのだという現実を受け止めたらどうだろうか。


言葉は便利だけれど、この世には言語では説明できないことが山ほどある。
その方が多いと個人的には思う。
敬愛する京極先生もそうおっしゃっていた。



おはようスコットランド


ただいま終了。

現在、朝の4時43分、
ヨーロッパの仲間から「おやすみ〜、みほ」
私からは「もう寝られへんで〜、
     もうすぐ朝5時やし〜
     おはよう やで〜」


ZOOMでの世界出没をはじめて以来
地球が丸いのだ、と実感する。
ギャラリービューに変えて友達を探す。



PC画面のたくさんのグリッド、
窓の外の景色、真っ暗だったり夜明けだったり
暖炉があったりタンクトップだったり
猫がキーボードに居座ったり、犬が飛びついてきたり。
子供を膝にのせている人もいる。
もぐもぐ食べたりコーヒー飲んだり。

なんとも胸がいっぱいになり、
いつもより優しい気持ちになる。




今日は160人近くが集まった。
主にヨーロッパ、世界中からの
ビジュアルプラクティショナーたち。
(グラレコやグラファシをやっている人たちは
 英語ではこう呼ばれます)
SCOTVIZ主催の勉強会。


今日のスピーカーは
ビジュアルプラクティスの総本山、
ドイツのBilabloという会社の創設者、
業界では誰もが知っていて、
そしてみんなが大好きなマーティン。



マーティンの語り口はあくまでソフト、
「特定のグラレコを画面共有するのはやめるね
 その人その人の経験で頑張って描いたものだもの、
 僕がどれかを選んだようになるのはいやだから」


さらに、実際に描いてみるコーナーでは
お手本が2種類用意されていた、


「経験のある人、プロはこっちを描いてね
 ビギナーはこっちを描くか模写して
 くれたらいいよ。人によってそれまでに
 費やしてきた時間も、バックグラウンドも
 違う、比べないで、自分のできることを 
 やればいいよ」

みんなが彼を好きな理由がわかる。
「教育者としてできてはるわ」と感銘。



質の良い教育をあたたかい仲間と受けると
生きててよかった
そう思う。

今日もみんなにありがとう。

私も良い教育を届けたい。
精読精査実践反省、、日々の地味なサイクルをガンバっぺ。