自分がわかっている VS わかりやすく人に伝える

今日一日論文ばかり読んでいた。
ビジュアルシンキングストラテジーズに関しての理解がどんどん深まっている。
論文を読んで気になったところを深ぼりし、横道に逸れてさらに掘り進む、
なんとか元のみちに戻ってみると、体系的に理解が進んでいて嬉しくなる、
興奮する。

でもそれが今すべきことじゃない。


論文を読んでいるのはもちろん英語、そして私の理解もメモも英語、
学生としては、学習者としてはそれでいいのだけれど
今私に求められているものは、ビジュアルシンキングストラテジーズのメカニズムを
わかりやすい日本語でまとめたぺらいちの紙。
これがなかった為にいろんなチャンスを失ってきた。

そのペライチさえあれば、この教育を日本で広めたいという私の悲願がかないやすくなる。


場所を借りるにしても、協力者を見つけるにしても、誰かとユニットを組むにしても
オンラインで講座を開設するにしても、絶対に必要だ。


私のvtsビジュアルシンキングストラテジーズは対話型鑑賞ではない。
米国の本部の先輩に尋ねた、
日本ではvtsはart appreciation dialogueと訳されていることが多いのですがどう思いますか?
返事は「それは私たちのvtsとは違う」だった
居合道や合気道と同じ、流派の違いだ。
色々あっていいと思う。


私の流派は鑑賞というよりもとんがっている。
具体的には、参加者の絵の解釈の根拠の強さや論理的思考の精度を要求する。
世界中で行われているこの流派のビジュアルシンキングストラテジーズは
クリティカルシンキングや問題解決能力などの思考スキルを身につけるための思考の訓練なのだ。






小難しいことを小難しいままで理解して、仲間内だけで盛り上がっているうちは普及などできない。それは楽しくてほっとする場だけれども。


私の夢はもっとたくさんの人たちにこの教育の底力を体験してもらうこと。
そして、
事実と解釈を切り分けることが習慣的にできるようになってほしい。


人生にはうまくいかない時もある。
そんな、問題や困難な出来事に直面したときにこそ役立つ力が身につくのがvtsだ。
落ち着いて状況証拠を集め、根拠を精査し、論理的思考を働かせれば後悔が少ない決断にたどり着けるだろう。



vtsにハマる前の私は、日常の些細なことですぐ慌てふためき、白か黒かだけの選択肢しか見えなかった。

そんなのだから
結局、自分の決断には深く失望し
自己評価が低いままで生きてきた。
自分の認知が歪んでいるなんて指摘されても信じられない、
まがりなりにもこれまでの人生を、ずっとこの認知と二人三脚で生きてきたのだ。
そんなふうに思い続けていた以前の私は、
客観的に自分を見るメタ認知なんてものとは全く縁のない人間だった。

1度しかない人生、それも限られた時間に生きる私たち、
そんな生き方はもったいなさすぎる。


カップラーメンを発明した安藤百福がモデルの朝ドラを思い出す、
開発にはとても苦労していたが、
完成品のデモンストレーションでお客さんは即理解できた、
「お湯をかけるだけで食べられる!」

私のvtsは目には見えないお湯もかけられない
物理的に商品がないのが辛い、
そんなことを思いながらまだこうやって英語の論文に逃げている。あかん!


なぜ「どうでしたか?」が愚問なのか


子供国連の伊澤さんのワークショップを受けて以来「問い」と「忖度」の関係性について考え続けている。


伊澤さん曰く
「授業やワークショップの後に
 『どうでしたか?』と聞くのは絶対だめ」と

「そんな粗い問いは、生徒に丸投げしてしまっている。そこでは忖度が働きやすく、生徒の答えは決まって
 『とってもよかったです』
 『目からウロコでした」とか
 本人は何がよかったのか認識できてない。」


お恥ずかしい話、教師生活31年私は自分の授業の後に、毎度きっちりこの問い
「どうでした?」を聞いて悦に入っていた。

さぶっ


伊澤さんの話だったか、それとも私が読んだ論文の情報を足したのか、ここからの話は出どころを忘れてしまったが説明したい。
忖度が起こるのは私たちが群れで暮らす動物だから、DNAに刻み込まれているというもの。

いわば、生き残るためのツールらしい。


そらそうだ。私たちは1人では生きていられない。仕事や学校には
同僚、同級生、上司に先生など多数の人間と接しなければならない。
不登校でも仕事をしていなくても、買い物に行くとレジに並ぶ。
セルフレジというみょうちくりんな英語のマシンを選んでも動作がうまくいってないと、係の人がとんでくる。


そうなるとできるだけ揉め事は起こしたくないはずだ。怒ることはエネルギーを使う。自分の本心を表現するには、深い内省と人に嫌われる、少なくともめんどくさい奴だ、と思われるリスクが生じるし。誰だっていい人だと思われたい。さらに、他のみんなが肯定的な空気を作り上げているところに、水を差すと、誰もがささっと帰れない。もっと嫌われる。

とはいえ、自分の尊厳を守ったり、無理な要求を突きつけられたときには、野生の動物だろうが人間だろうが闘う必要はあるわけで。

きっとそれはファイナルファンタジーで
クリティカル技が出るときの、赤いゲージの溜まり方のようなもんなんだろうと思う。私もいつか、クリティカル攻撃をヒットさせてみたいものだ。って誰に?


ちょっと最後は話がそれてしまいましたが、
どうしてワークショップ後の「どうでしたか?」では誰も本心を語らないのか、に対する
考察でした。

メタ認知スキルで傷つかない−2

さて、リモートワークショップを受けた際に先生が言った一言に反応した話の続きです。


「岡さんが英語のコミュニケーションの方が日本語より楽だというのは、母国語より制限がかかっているから楽なんじゃないですか?」



充実した講義が終了。
その後も、このことを頭の片隅に置いて考えていました。息子が小さい頃、口の中でずっとコーラ味のまん丸い飴をコロコロと転がしていたように。


無理をして書き出したりして結論や即答を急ぎませんでした。不思議です。今までの自分だったら、それは不安に直結するから嫌で嫌で、
力技で短絡的に(今思えば)ロジック破綻な答えをだし無理やりその分析が正しい、それしかないのだ、と思い込んで具合悪くなっていました。(書きながら相当恥ずかしいです)』




ではvtsがどう役に立ったのか?


これは、ts学習者としてではなく、
vtsファシリテーターとして獲得した力だと思います。ファシリテーターは3つの質問しかできません。私のコーチは常々言ってます、
「私たちvtsファシリテーターの武器は
 パラフレージングだけです」


受講者が絵画を観察し、言語化した発表を
ファシリテーターは単におうむ返しするだけではありません。メタ認知の力を使い、パラフレージング(言い換え)をして受講者グループに投げ返します。


さらに、受講者みなさんの意見を組み合わせたり対比させたりして、グループ全体でメタ認知が発動するように、もっていくのです。


私がこれまでのように、「もう、あの先生ひどい人、2度と会わないわ、サイアク」なんて思わず、「ためになったなあ、やっぱり人に教えてもらうって本を読むよりわかりやすいし楽しいなあ」と思えたのは、vtsファシリテーターとして80回以上の経験をつませてもらったからだと考えます。

来月から6週間にわたりvtsコーチになるための講座をオンラインで受けます。
時差がかなりきついけれど、好奇心がそれを上回る。

全編英語の上に、この教育に魅せられた志を同じくする旧知の仲間、
飛行機に乗らなくても本場のものが学べるとは!



vtsメソッドで訓練すると、
精神的幽体離脱が起こって
不必要に傷つかなくなる
それを体験した話でした。

ファシリテーション スキル「ほめない」


昨日のVTS(ビジュアルシンキングストラテジーズ)の練習会の話の続きです。


私が学んでいる機関は米国カリフォルニア州にある『VTS』というNGOです。全米の美術館での教育だけでなく、ファシリテーターを小中高に大学、大学院、企業と派遣しています。私もいつか派遣されたい、そう夢見てメタ認知やクリティカルシンキングについての論文を読み、教育実習でファシリテーション スキルを強化するために精進しております。


2人の仲間によるvtsディスカッションが終了し全員が「いやすべらんなあ」?と
この教育の奥深さ、おもしろさの余韻に浸っている時、弁護士のエマが言った、



「ねえ、今のファシリテーション 、
 みんなをめっちゃほめてたよねえ
 
 でも、私たち、講習で習わなかった?
 『ほめるのはダメです』
 『完全に中立の立場で議論が回るように』
 って」




さすがだ、
こうあるべきだ。
学習する組織として
コレクティブラーニングとしては
「楽しかったわあ」や
「すべらんなあ」で終わってはいけなかった。





確かに。
それは私の課題でもあるし、謎でもある。



教師生活31年、一方的に講義する授業ではなく
アクティブラーニングにこだわってきた自負はある。

だがしかし、その回し方に問題がある。
ほめないと、生徒は参加者は自発的に発言しないのではないか?
したとしても、その発言は当たり障りのないことに終始するのではないか?



先日受講した子供国連の伊澤さんのセミナーで
忘れられないひとことが思い出される、
テーマは問いの立て方。
「このような問いの立て方をすると、生徒と先生の関係において忖度がうまれやすい」



ミシガン州立大学の附属図書館の教育司書であるアンのファシリテーション スタイルは、私のものと同じ:だれも彼もかたっぱしからほめる。そして楽しい学びの場を引っ張ってゆく。





これが自分のスタイルなんだと、私がはしゃがないでどう盛り上がるのだ、授業が、そう思ってきた。いや、近年は「言い聞かせてきた」と言った方がいい。

やはり、忖度は起きている。
同志社大学で授業をさせてもらった時、
思い知った。学生みんな、私に気を遣ってくれていた。力不足。みんな、申し訳ない。





本部には『VTSコーチ』や『VTS トレーナー』という肩書きをもつ人たちがいる。私がこれまで受講した2つの講座で、その神業を目の当たりにした。そのうちの1人は私のアメリカの母校の近くに住んでいる。彼女はh、ひとたびvtsディスカッションが始まるとにこりともしない。最初は、その反応のなさに「私の答えは受け入れられてないのだろか?」と思い不安になる、手をあげて発表したことを後悔する。 でも私の発言を、彼女がメタ言語で言い換えると自分が光が輝いている気がする、誇らしさでいっぱいになる。なんだろう、これ。



薄々気がついてはいる、
たぶん、それはファシリテーション スキルの差


3月から1ヶ月半の講習に申し込んだ。
VTSコーチになるための講習。
私のテーマは
「ほめない、はしゃがないファシリテーション 」技術を身につけたい。心からそう思う。










 

メタ認知発動

今朝も世界中の仲間とVTS ・ビジュアルシンキングストラテジーズのファシリテーション 練習をした。



リーダーはミシガン州立大学付属図書館に勤務する特別司書のアン。かつて私の志望校だったこの大学は言うまでもなくトップの大学のひとつであり、わが言語学業界では特に有名だ。


ミシガン州立大学では司書を「本や資料を探してくれる人」とは扱わず、「論文を書いたり、研究をするために大学の授業ではカバーしきれない部分を教えてくれる先生」として位置付けているそう。「大事にしてもらってるの、私たち司書は」
そういうアンは、クリクリ目がかわいい、きっと小さい頃から好奇心のかたまりだったろうと思う。そしてその知識と言語能力、特に自分の思考を言語化する能力がエグい。


私「うらやましい!
  アンは生きたエンサイコロペディアだわ
  その脳みそを移植できないかしら
  私の脳とつなげてダウンロード
  できないかな。本当にすごい知識!」
そういうと彼女は返す
 「みほ、知ってるよ
  第一言語(日本語)だったら、
  あなたは私と全く同じ」

ありえない。
もし知っていてもあなたみたいに瞬時にわかりやすく言語化できない。
知っていること と 説明できること は
全く違うことだと痛感する日々。



練習会のメンバーは、昨年夏開催のファシリテーター研修講座のクラスメート。10回講座には毎回提出の宿題があり、これが苦しかった。論文(アビゲイルハウゼン、ピアジェ、ヴィゴツスキー、ベルフックスなど)を読んで、哲学命題のような問いに小論文みたいに答える。許されるのは1パラグラフだけ。
「こんなでっかい問い、どうやって1パラグラフにまとめられるねん!」とMacにむかい続けた。

さて参加者は前回に続き、
アンと私にオーストラリアの弁護士、米国で特定学区の教育プログラムの責任者(すごいえらい人)にゲストはニュージーランドにある美術館の学芸員。

「今日の1枚目の絵画は、うちの美術館のコレクションから持ってきたわ」



これだ!
学芸員の強み、
「うちのコレクション」



著作権の関係でここには載せられないけれど
とてもユニークな作品だった。若い頃のボブマーリーのよう、豊かなドレッドヘアが似合う男性の写真と手書きのもじが書かれた書類、おそらくパスポートのページ?、その上にたくさんの貝殻とビーズが散りばめられている。


ディスカッションにのぼったトピックは
・人種差別
・アフリカからジャマイカに送られた奴隷と
 その歴史
・アジアとアフリカ両方にルーツをもつ人の
 苦悩
・私たちがもつステレオタイプ
・意識していない人種差別の芽って誰の心の中にもあるよね
・考え続けることのしんどさ



私が最後に言った意見は
「どうしても私はパスポートみたいな書類に書かれている文字ばかり見てしまう。文字を読む方が絵の要素を見て『何を意図して作られたのか』『訴えたいことはなんなのか?』と考えるよりずっと楽。


 ということは、巷に流れるニュースでも
もしかして私は文字で書いてあったらフェイクニュースでも信じてしまいがちなんだと思う。



ここにうつる青年の顔も、合成写真かもしれない、アバターかもしれない、そもそも、男性なのか? なぜそう決めつけられるの? でも心の中では決めつけている。浅はかだとわかっているのに。」


全員深く頷く、
そして、教育委員会の偉いひとアシュレーが
言う

「やっぱ、たまらない、
 おもしろいねえ、VTS メソッド。
 学べば学ぶほどどハマりするね」



30分弱のvtsディスカッションが終わったあとは、ファシリテーター役のメンバーにみんなからフィードバックをした。(この内容は次号)


みんな同じことを感じたようで、
「見た瞬間、ドレッドヘア、ジャマイカ、
 レゲエ、ボブマーリー」って自動的に
 頭に浮かんできた。それがすぐに定着して
 この作品の要素を多角的に見られなくなって  いる自分に気づいたわ」


でた、metarecognition(メタ認知)
そしてcritical thinking



最近見たテレビ番組を思い出す、

「いやあ

 vts、

 ほんま

 すべらんなあ」
 


VTSファシリテーション

今朝は5時開始、
VTSルッククラブに参加。

米国のVTSという団体が、
ビジュアルシンキングストラテジーズを広めるための体験講座だ

今日の参加者は56名、
いつもの米国のみんなに加えて
ポーランド、オランダ、スロベニア、アルゼンチンなどからも参加者が。
https://vtshome.org/events/
(講座は全て英語で行われ、日本語訳はありません)



私はこの団体で2種類のファシリテーター養成講座を受けている、
ビギナーとアドバンスド と。
今日はクラスメートがたくさんいた。
グラフィックレコーディングを学ぶうちに知り合った
世界中の友人との楽しいやりとり然り、
「絵」は人と人とを繋ぐ、それも軽やかに。


今日はオーストラリアの美術館の学芸員チームがゲストで参加。
収蔵作品を持ってきてくれた
私の講座の受講生も「美術館に行きづらい今
自宅で作品がみられるだけでも嬉しい」と言っていた気持ちがよくわかる。
画面共有が始まった段階で、いつもの自室がギャラリーになる。
パッと花が咲いたよう、異空間にワープするような。


VTSの開発者のひとりはハーバード大の認知心理学者アビゲイルハウゼン。
彼女はvts講座への参加歴を{eyes on canvas}と呼ぶ。
キャンバス (アート)をみている時間が長ければ長いほど思考も豊かになる、
さらに、考えが柔軟になり、前提を疑うことへのためらいが薄れる



自分がファシリテーターとして活動する間に
西洋と東洋の違いに非常に敏感になる。
今日の1枚目の絵画、私は全く言語化できなかった。
ただそこにある絵画と言う感じ。
美術館で出会ったら一瞥して歩みを止めないタイプのもの。
好きか嫌いか、そこだけで判断していた以前の自分。

今は違う。
VTSメソッドではそのような状態を It is diffeicult enter.と表現する。
入り込めなかった。その絵をドライブにして思考を動かすことができなかった、
そう解釈する。


対して2枚目、これは別の意味で困った。
頭の中に次から次へとナラティブ(ストーリー)が湧いてきて止まらない。
発表したいが、止まらない考えを人前で発表できるように整理するのに一苦労。
集中しすぎて気が遠くなりそうだ、
時間がかかりすぎていないだろうか、
今日も一言も発せずに終わるのか、
いや、折角早起きして出席しているのだもの
自分に負けるような気がしてそれはいやだ。
絵に集中する自分とそれを俯瞰してみている自分、
これこそメタ認知だ。
アドレナリン、どば〜っ




結果として、今日は1回発表できた。
人前で自論を語るというのは勇気のいること。
それを褒めてくれ、完全に中立性を保ち、
みんなの同意も反論もしなやかに受け止めたオーストラリアのファシリテーター、「上手いなあ、、」

ファシリテーション は技術、
親しみやすさや面白さだけに特化している体の自分を恥いる。
修練あるのみだ。


I have joined VTS look club almost every week for about a year.
Every time, I attend it, I learn something new, and am overwhelmed by the efficient and sophisticated facilitation presented.

Will learn more. Will practice more.